目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのか
この記事の要点
- 目標が立てられない原因は、だいたい3つ。①上から方針が降りてこない ②個人が「何をしたいか」分からない ③そもそも「目標」というものを理解していない。そして日本には、目標を立てて達成する習慣が、もともと薄かった
- 目標がないと、人は「簡単で、やっている感のある仕事」に流れ、期末に「頑張りました」で揉める。でもこれは個人のせいではなく、上流が空で、意味づけが渡されていない“構造”の問題
- 抜け道は、方針は上が出し、「どうしたいか」をチームで出し合って、やりたいことを目標にすること。やることはチームで、どうやるかは個人で、達成はマネージャーが責任を持つ——この役割設計
サービスの紹介をしていると、「うちの会社はそもそも、良い目標を作る以前に、目標自体を立てられないんですよね…」と仰る方が、一定数います。
つまり、従業員は何を目指すのかが分からない人が多い。かと言って、上長から目標が落とされることもない。……なるほど。その状態で、みんな普段いったい何を目指して働いているんだろう、と考えさせられます。今日は、その話をします。
なぜ、目標が立てられないのか
僕が聞いてきた範囲だと、原因はだいたい3つに分かれます。
- 上位層から、目標が降りてこない。経営や部門の方針が言葉になっていないから、個人は接続先を持てない
- 個人が、何をしたいのか分からない(正直に言えば、何もやりたくない、に近いことも)。だから書きようがない
- そもそも「目標」というものを理解していない。だから書き方も、よく分からない
でも、これって割と当たり前のことだと思うんです。日本には「目標を立てて、達成していきます」みたいな習慣が、そもそも薄かった。かく言う僕も、昔は全然できませんでした。むしろ新卒の頃は、目標設定なんて、面倒で意味の分からない作業だと思っていた。だから「目標を立てられない」人を見て、「意識が低い」で片付けるのは、たぶん間違っています。習ってきていないだけなんです。
目標がないと、人は「忙しそう」に働く
じゃあ、目標がないまま働くと、どうなるか。ひとことで言うと、日々の業務に忙殺されている感じになります。
本当に忙しいのか、と言われると、正直あやしい。でも人は、目標がないと、簡単で、やっている感のある仕事を、ずっとやり続けるようになるんです。手は動いているし、タスクは消化されている。忙しそうに見える。そして期末に、「今期も頑張りました!」と胸を張る。
ところが、それは当然、評価されません。だから揉める。成長もしていない。「なんで、これで給与が上がると思ったの?」の前に、そもそもなぜ給与が上がるのか、という理屈が本人に渡っていない。ここで本人を責めても仕方がなくて、求めているもの(評価される働き)が深くて難しいぶん、経営側が、しっかり落とし込まないといけない話なんです。
「業務を回す」と「目標」を、混ぜるとこじれる
ここに、やっかいな罠があります。
目標を間違えてアサインすると、その人はその目標しかやらなくなって、業務が回らなくなる。かと言って、業務が回ることを前提に目標を作ると、今度は目標の数が増えたり、つまらない目標ばかりになる。どちらもよく見る失敗です。
だから、順番はこうだと思っています。日々の業務をこなすのは、大前提。そのうえで、「あなたは、どこで価値を発揮しますか?」と問う。目標は、業務の写経ではなくて、その人の“価値の置きどころ”と、“次にどこを伸ばすか”という成長ポイントを、可視化するもののはずなんです。「目標を立てられない」の裏側には、たぶん問い方そのものが違う、という問題もある。(この“どうなったら価値を発揮したと言えるか”を状態で言葉にする話は目標設定の方法に、目標を「評価のための作文」ではなく組織の共通言語として捉え直す話は目標管理とは、評価のための作業じゃないに書きました。)
「立てられない」状態から、どう抜けるか
いきなり良い目標を立てろ、は無理です。習ってきていないんだから。じゃあ最初の一歩は何か。
コレドウの大感謝祭のワークでやって、これは良いと思ったやり方があります。方針は、上が出す。でも、その方針に対して「自分たちはどうしていきたいか」を、チーム全体で出し合う。そのうえで、みんなの「やりたい」をちゃんと抜き出して、目標にしていく——というプロセスです。
白書にも書いたのですが、僕が大事だと思っている役割の設計は、これです。
- やること(What)は、みんなで決める
- どうやるか(How)は、個人で考える
- 達成の責任は、マネージャーが持つ
「目標を立てられない」個人に、いきなり空白のシートを渡して「書け」と言うから、書けない。上が方針を出し、チームで方向を握り、そこから自分のやりたいを抜き出す——この道筋があれば、はじめて個人の目標は立ち上がります。
「目標が立てられない」は、個人のせいじゃない
ここまで書いてきて、改めて思うのは、これを個人の問題にしてしまうのは、あまりに酷だということです。
やってきていない。やる意味も分からない。やり方も、方法論だけ教えられて、意味づけがない。……そんな状態で、モチベーションがあるわけがない。目標が立てられないのは、意識の問題じゃなくて、上流が空っぽで、意味が渡されていない“構造”の問題なんです。
でも本来、目標に向かってチームで走ることは、仕事の醍醐味のはずです。それを「楽しいよね、やりたいよね」と思える状況をつくること——それこそが、マネージャーの、そして経営の仕事なんじゃないかと思います。
「甲子園に行きたい」から、素振りは生まれる
最後に、たとえ話を。
「甲子園に行きたいよね!」という目標が、部活にあるとします。すると、こうなる。「じゃあ僕は、勝つために打率を2割5分まで上げたい。そのために、毎日素振りをしてスイングスピードを上げる。球種を見極めるために、動体視力を上げる。パワーをつけるために、筋トレを頑張る」。
たぶん、甲子園を目指した人たちは、こういうことを自分で考えて、やってきたんだと思うんです。もちろん苦しかったはず。でも、苦じゃなかった。夢中で追いかけられた。……というか、そうやって夢中で追える人たちが、実際に甲子園に行けているんだと思います(僕は高校球児じゃないので、推測の域を出ませんが)。
これ、そのまま仕事の目標の話です。上に「甲子園」(チームで握った方針)があるから、個人は「素振り」(自分のやり方)を自分で設計できて、しかも夢中で追える。逆に、甲子園がなければ、素振りは“やらされる面倒な作業”にしかならない。「目標が立てられない」会社に足りていないのは、書き方のテンプレートではなくて、この“甲子園”のほうなんだと思います。(人が夢中になる目標の設計そのものは半年に一回しか褒められないゲームを、誰がやるのかに書きました。)
おわりに
目標が立てられないのは、立てて終わりのイベントとして、空白のシートだけが降りてくるからです。必要なのは、上が方針を出し、チームで方向を握り、個人がやりたいを抜き出し、日常のなかで擦り合わせ続ける——そういう運用のほう。目標は、書かせるものじゃなくて、一緒に立ち上げるものだと思っています。
コレドウがAIで支えているのも、まさにここです。空白のシートの前で固まる人に、方針との接続や、やりたいの言語化を伴走する。(プロダクトの詳細はこちら)そして、この「目標→対話→評価」を運用で回しきる全体像はなぜ評価制度は「作っても回らない」のかに書きました。