目標管理とは、評価のための作業じゃない——組織を動かす「共通言語」の話
目標設定の季節になると、あちこちで「目標シート、提出お願いします」と連絡が飛び交います。みんな、評価のために目標を書く。書いたら半年忘れて、期末にまた引っぱり出す。——この時点で、目標はもう「評価のための作文」になっています。
僕は、これがいちばんもったいないと思っています。目標は、評価のための作業じゃない。組織を動かす共通言語です。今日は、なぜそう言えるのか、そして共通言語としての目標をどうつくるのかを書きます。
目標は「評価」のためじゃない。「マネジメント」のためにある
そもそも目標管理(MBO)は、正式には「Management by Objectives and Self-Control」。最後に“自己統制”まで付きます。提唱者のドラッカーは、こう書いています。「目標管理の利点は、自らの仕事を自ら管理することにある。その結果、最善を尽くすための動機がもたらされる」。目標とは、誰かに管理・評価される対象ではなく、人が自分で自分を動かすためのものだ、ということです。
OKRも根っこは同じです。自分の目標が上の目標とどう繋がっているかを見せて、人をモチベートする。MBOもOKRも、本来は“制度”の話じゃありません。だから手法は、正直なんでもいい。大事なのは、目標が人を動かしているかどうかなんじゃないかと僕は思います。
では、人を動かす目標とは、いったい何なのか。僕は、「組織の共通言語」だと考えています。
目標とは、組織の「共通言語」である
アフリカのことわざに、「早く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければ、みんなで行け」という言葉があります。みんなで遠くへ行くには、全員が同じ方向を向いていないといけない。その方向を言葉にして揃えるのが、目標です。
共通言語があると、いちばん変わるのはフィードバックです。「それ、あなたの感想ですよね」という属人的なダメ出しが、「決めた目標に対して、いまどこにいるか」という現在地の確認に変わる。同じ地図を見ながら話せるようになるんですよね。
ただ、どんな目標でも共通言語になれるわけじゃありません。
共通言語になる目標、ならない目標
共通言語になる目標には、条件が2つあります。
ひとつは、本人のものになっていること。「やりたい」と会社の「やってほしい」が重なっていて、しかもそれが自分の言葉で語られている状態です。会社の要求を押しつければノルマになって形骸化し、やりたいことだけを並べれば自己満足で終わる。両方が重なり、自分の言葉になってはじめて、目標は“みんなの言葉”として働きます。だから言語化は、上司が代筆せず、書く人自身にやってもらう。借りものの言葉では、最初に触れた自己統制(Self-Control)も効きません。
もうひとつは、具体的であること。「売上を伸ばそう」「成長しよう」だけでは、言葉として相手に届きません。よく「SMARTにしろ」と言われますが、アレは評価のためだけじゃなく、目標を共通言語として機能させるために具体的であれ、という意味だと僕は捉えています。
ただし、僕はSMARTだけじゃ全然足りないと思っています。SMARTには、肝心の「どうやるか(How)」が抜けている。いつまでに、何を、どうやって、どうなったら達成なのか。そこまで言葉にして、ようやく目標が共通言語として機能しだすと考えています。(具体的な立て方は目標設定の方法——その目標、ただの「ルーティン」になっていませんか?で書きました。)そして、SMARTを超えて「働く本人の心が踊る」目標設定については、顧問の志水静香さんのワークをまとめたコレドウ大感謝祭レポート——SMARTから「SMILE」へもどうぞ。
雑な比喩ですが、「今度、飲み行きましょうよ!」という約束をしたことがあると思います。その場は盛り上がるのに、翌日には「行けたら行くわ」になっている(笑)。日も店も決めていないからです。ゴールを掲げるだけでは、人は動けない。逆に言うと、道筋まで具体的なほうが、目標はかえって柔軟になります。曖昧な目標は途中で直せませんが、具体的な目標なら「この日程だと前の予定の調整が必要だな」と直せる。直感に反しますが、本当です。
この2つを壊してしまうのが、「評価のため」という動機です。
「評価のため」が、共通言語を壊す
評価のために目標を立てると、人は評価されやすい目標を選びます。背伸びせず、確実に届くところに置く。これでは「やりたい」が抜け落ちる。さらに、立派な目標を書き上げること自体がゴールになり、達成ではなく“作文”に力が向かう。どちらも、共通言語からは遠ざかる方向です。
そうやって「評価のため」だけの目標になると、企業や自分の成長という視点が抜け落ちます。冒頭の——作ったあとは半年忘れ、評価のときに引っ張り出す「なんちゃって目標」の完成です。
結果として評価の際に、え?この目標でいいの?と慌てる。
では、力を注ぐべきはどこなのか。
目標は上流、評価は下流
ここでヒントになるのが、僕が敬愛するビジネスデザイナー・濱口秀司さんの考え方です。プロジェクトは「コンセプト→戦略→意思決定→実行」と時間軸で進み、打てる手の幅=自由度は、コンセプトの段階がいちばん大きく、実行に近づくほど小さくなっていく。
これは、目標管理にそのまま重なります。コンセプトが目標で、実行が評価です。最上流の「目標」は自由度が大きく、ここでほとんど勝負が決まる。最下流の「評価」には、もう自由度がない。終わったことに点をつけるだけだからです。
ところが多くの会社は、これを逆にやっています。自由度のない評価の段階で「どう評価するか」「どう納得させるか」に力を注ぎ、自由度の大きい目標の段階はおざなりにする。本当は逆で、勝負は上流の目標で決めるべきなんです。
つまり、目標も対話もプロセスで、結果はあくまで評価だけ。上流の目標が共通言語になっていれば、対話も評価も同じ地図の上に乗っていきます。逆に上流でボタンを掛け違えれば、期中にどれだけ対話しても、最後の評価は噛み合いません。
だからこそ、目標管理と評価運用は地続きで、手を入れるべきは評価の制度ではないのです。評価が「納得できない」「形骸化する」会社は、たいてい上流の目標でつまずいている。評価そのものの話はなぜ評価制度は「作っても回らない」のかに、目標がそもそも描けない手前の話は目標が立てられない会社の人は、毎日なにを目指して働いているのかに書きました。(評価のための目標が形骸化していく構造はMBOが形骸化する3つの原因と、評価運用で防ぐ方法にも。)
まとめ:目標は、組織の共通言語だ
整理します。目標は、評価のための作文ではありません。組織を同じ方向へ動かす共通言語であり、人を動かすマネジメントそのものです。良い目標の条件は、本人の「やりたい」と会社の「やってほしい」が重なり、自分の言葉で、道筋まで具体的であること。そして勝負は、自由度の大きい上流=目標で決まります。評価は、その結果として下流についてくるだけです。(そしてその“結果”は、実は一人ひとりのスキルとして貯まっていきます——評価とスキルは因果だ、という話はスキルマップは「作る」ものではなく「貯まる」ものに書きました。)
とはいえ、これを全部マネージャーが手作業でやろうとすると、結局“作文”に逆戻りします。コレドウがつくっているのは、その重さを引き受ける仕組みです。AIが目標を具体的な共通言語に翻訳し、作り込みの負担を肩代わりする。人は作文から解放されて、達成と対話に集中できる。目標を、評価のための作業ではなく、組織を動かすマネジメントそのものに戻したい。そう思っています。(プロダクトの詳細はこちら)
なお、目標・対話・評価をひとつの循環として回す全体観はパフォーマンスマネジメントとは——日本の目標管理は「目標を管理」して、人を動かしていないにまとめました。