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評価運用

「じゃあ、人事に伝えておきますね」——目標と評価は、いつから“人事の話”になったのか

曽良 竜太 (コレドウ代表取締役)
「じゃあ、人事に伝えておきますね」——目標と評価は、いつから“人事の話”になったのか

この記事の要点

  • 目標の話をすると「人事に伝えておきますね」と返ってくる。目標と評価は“人事の施策”だという刷り込みは、正しい名前で呼び直すだけでは剥がれない
  • 給与は結果であり、目標は未来への投資。期初に「この水準を安定してこなせるなら、この給与」という理屈を握っていないのに、評価だけを給与に紐づけるからおかしくなる
  • 評価は、日々の営みを俯瞰した「答え合わせ」にすぎない。マネージャーの本当の仕事はその先——メンバーの市場価値をどう上げるかを、一緒にデザインすること

経営者やマネージャーと、目標の話をしますよね。組織をどう動かすか、という話のつもりで。すると、かなりの確率でこう返ってきます。

「あー、なるほど。じゃあ、人事に伝えておきますね」

……え? 経営とマネジメントの話をしているのに。今日は、この「え?」の話をします。

目標と評価は、遺伝子レベルで「人事の話」になっている

なぜこうなるのか。みんな、評価のために目標を立てているからです。目標も、振り返りも、評価も——すっかり「人事がやっている施策」として、それこそ遺伝子レベルで刷り込まれている。だから経営の話として目標を持ち出しても、聞いた側の頭の中では自動的に「人事のフォルダ」に仕分けられる。

先に言っておくと、これは人事が悪いという話ではありません。もちろん、「目標と評価は経営とマネジメントの話である」と理解したうえで、その遂行部隊として人事という名前を持っている会社も、ないとは言えない。でも、大半は違うと思うんです。

正しい名前で呼んでも、フォルダは変わらない

この営みには本来、ちゃんとした名前があります。パフォーマンスマネジメント——目標・対話・評価をひとつの循環として回す、マネジメントの本業のことです。(詳しくはパフォーマンスマネジメントとはに書きました。)

だから僕も、この言葉で話します。でも、日本ではまだ聞き馴染みがないから、「それ何ですか? 目標と評価? あー、じゃあ人事の話ですかね」となる。正しい名前で呼んでも、受け手の頭の中では同じフォルダに仕分けられてしまう。言葉が悪いんじゃない。言葉だけでは、刷り込みは剥がれないんです。悲しいね、日本。

もっと正直に言うと、僕はこの「目標と評価は経営の話だ」という説得に、いまのところ成功したことがないんです。伝わらなさすぎて、それが悔しくて、いま260ページを超えるスライド資料を書いているようなところすらある(これは近いうちに公開します)。そもそも、その考え方を遂行する能力と権限が、現場の側にないのかもしれない。仮に通じたとしても、既存の枠組みの置き換えだから、遂行はやっぱり人事に落ちていく。

ただ、ひとつだけ面白い例外があって。人事の人に「目標と評価って、制度じゃなくてマネジメントの仕事そのものですよね」と話すと、意外と「そうなんですよ!」となるんです。つまり、分かっていないのは人事じゃない。構造が、そうさせている。

犯人は誰か——たぶん、誰でもない

じゃあ誰のせいなのか。経営か、人事か、現場か。考えてみたんですが、たぶん、特定の誰かではなくて、構造の問題なんだと思います。

というのも、目標と評価を正しく理解したとしても、初めてやる人からしたら、評価のために目標を立てるほうが、短期的には得なんですよ。確実に届く目標を書けば、評価は守れる。合理的です。だからこの構造は、放っておけば必ず再生産される。

止める方法はひとつで、「そういう目標は評価しないよ」を、文化として徹底しきること。逆に言えば、それを徹底しきれない文化のところに、根っこがあるんじゃないかと思います。

給与は結果であり、目標は未来への投資である

では、どう捉え直すか。僕の整理はこうです。

給与は、結果。目標は、未来への投資。

この水準の目標を安定して達成できるんだったら、そりゃ給与だって高いよね、という話。逆に、この給与で、この水準の仕事はしないよね、という話も当然あるべきです。つまり期初の目標の段階で、あなたに期待している職務と結果を握って、「このレベルが安定してこなせるなら、この給与だよね」という理屈まで、セットで合意しておく。

多くの会社は、この前段の投資の握りがないまま、評価だけを給与に紐づけています。だから期末に揉める。理屈が期初に共有されていないものを、期末に一方的に清算しようとするからです。

もう一歩踏み込むと、「先に上げる」という手すらあります。僕は前職で、実際にやったことがある。来期、このメンバーにどうしてもこの重責を担ってほしい。世の中を見ると、この重責を背負って遂行する人には、このくらいの市場価値がある。だから——「今はまだ追いつくか分からないけど、僕も頑張って支援するから、先に上げてやってほしい」と。期待値ごと、先に投資するわけです。

足りなかったら下げる、という条件も理屈としては握ります。ただ正直に言うと、実際に行使されることはまずないので、危ない橋ではあります(笑)。それでも、「なぜこの給与なのか」の理屈が期初に握られている状態と、握られていない状態では、その期の働き方がまるで違う。

評価は「答え合わせ」。本当の仕事は、その先にある

こう捉えると、期末の評価は何をする時間になるか。シンプルに、答え合わせです。

「僕の認識はこうだけど、違うところある?」——日々会話していたら、返ってくるのは「いや、いつも対話している内容なので、特にないです」。それで収まる。ここに驚きも交渉も要らない。(この“期末の驚きをゼロにする”話はなぜ評価制度は「作っても回らない」のかに書きました。)

マネージャーの本当の仕事は、答え合わせの先にあります。次に何をするか。このメンバーの市場価値を、どう上げていくか。それを一緒にデザインすることです。

実際に僕がしていた会話は、こんな感じです。「今期はこういう仕事をして、こうだったよね。だから今回はこの給与とこの評価。で、今後もっと給与を上げたいと思っているなら——こっちの道は詰まってるから危ないけど、こっちなら進めるよ」。たとえばエンジニアなら、「これからコードを書くこと自体はコモディティ化していく。でもPdM的に設計をしていく流れなら、市場価値は今後も上がる。そういうキャリアを描くのはどう? そのために僕が渡せるオポチュニティはこれとこれ。一回ジョブチェンジっぽく見えるから、一時的に停滞するかもしれないけど、次の段階で価値を出せると思う」——。

給与の理屈を握り、道を示し、機会を渡す。これは人事の施策では、絶対にできない。日々その人の仕事を見ている、マネージャーにしかできない仕事です。(メンバーごとのモチベーションの源泉と向き合う話は部下のモチベーション、「お金か承認か」で考えていませんか?に、成果と能力で払い先を分ける話は「定性目標」なんて、存在しないに書きました。)

おわりに

「評価」と呼ぶから給与の話になる——半分は本当です。でも、言葉を差し替えるだけでは、刷り込みは剥がれません。変えるべきは言葉ではなく、理屈の置き場所です。

給与は結果、目標は未来への投資。期初に「この水準なら、この給与」という理屈を握り、日々対話し、期末は答え合わせだけにする。そして浮いた時間で、メンバーの市場価値を一緒にデザインする。この一連の営みは、制度でも人事の施策でもなく、マネジメントそのもの——つまり、パフォーマンスマネジメントです。名前の意味が、実践を通じてはじめて伝わる。だから僕は、説得ではなく実践のほうから、この言葉を日本に根づかせたいと思っています。

コレドウがAIで支えているのも、この営みです。目標の理屈を言葉にし、日々の対話を積み上げ、評価を答え合わせに変えていく。(プロダクトの詳細はこちら

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