コレドウ
組織開発

マネジメントの話をすると、なぜか人事の話にされる

曽良 竜太 (コレドウ代表取締役)
マネジメントの話をすると、なぜか人事の話にされる

この記事の要点

  • 目標・対話・評価の話は「人事の話」と「マネージャーの問題」のあいだに落ちて、誰も受け取らない
  • 経営会議の議題に人と組織が乗っていないと、この落下は止まらない
  • だから課題設定を「経営の問題」に置き直すところから始める。誰かのせいにする話ではなく、誰が決めるかの話

コレドウを立ち上げてから、ずっと同じことを言い続けています。

これは制度の話ではなく、マネジメントの話です、と。目標をちゃんと立てて、期中に振り返って、そこから文化を作っていきましょう、と。

それでも、なかなか伝わりません。

「あ、人事の話ですね」

この話をすると、まず返ってくるのがこれです。

目標も評価も人事の管轄だと思われているので、そちらへ回されます。マネジメントの話をしているつもりなのに、担当部署の話に変換されてしまう。

では人事に持っていけば話が進むかというと、そうでもありません。今度はこう返ってきます。

「うちはマネージャーが育っていないので」

**間に落ちるんです。**どちらも自分の管轄ではないと思っている。悪意はなくて、本当にそう認識している。

僕はしばらく、これにイライラしていました。みんな「俺のことじゃない」と言う。じゃあ誰の話なのか。

落ちる理由は、たぶん構造にある

先日、人事領域でコミュニティを運営されている方と話していて、この話になりました。返ってきた言葉が的確でした。

事業の成果を上げるという活動と、日々何を意識して、どんな会話をして、どう関わって、どう改善するかという活動。**この2つが繋がっていないから、他人ごとにできる**のではないか、と。

腑に落ちました。

目標や評価を「事業の成果を出すための活動」として扱っていれば、それは自分の仕事です。でも「人事の年間行事」として扱っていれば、それは総務的な作業になる。同じことをしているのに、位置づけが違うだけで、当事者かどうかが変わってしまう。

その方はリクルート出身なのですが、あの会社では目標も評価も**あえて名前をつけるほどのものではない**と言っていました。事業の成果を上げるという行為と一体化していて、切り離す発想がない。だから「パフォーマンスマネジメント」という言葉すら要らない。

逆に言えば、**切り離されているから、言葉が必要になっている**わけです。

「マネジメントって、目標管理がすべてだよね」

もうひとつ、以前うかがった話を書きます。

顧問の志水静香さんから「私が業界で一番信頼&尊敬している人を紹介する」と言っていただき、石原直子さんとお話しする機会がありました。リクルートワークス研究所で長く人材マネジメント研究に携わり、現在はAI・DX領域の研究所を率いる、日本の人事領域における第一人者のお一人です。

その中で出てきたのが、この言葉でした。

そもそもマネジメントって、目標管理がすべてだよね

人が動くとき、チームが動くとき、その起点には必ず「何を目指すか」がある。それをどう設定して、誰に渡して、どう達成させていくか。**これができているかどうかだけで、組織の強さはほぼ決まる。**

個々人が目標を達成すれば、組織の目標は達成される。組織の目標が達成されれば個々人に還元される。その繰り返しが確実に行われるだけで、最高の組織はつくれる。

対話も、モチベーションの話も、アサインメントも、文化も、エンゲージメントも、すべてはその過程で起きる作用だという話でした。

これを聞いたとき、自分がやろうとしていることの位置がはっきりしました。**目標管理は人事の一機能ではなく、マネジメントの本体です。**(この話はマネジメントって、結局なんなんだろうにも書きました。)

それなのに、議題に乗っていない

では、なぜ本体であるはずのものが、誰の話でもなくなるのか。

いちばん大きいのは、**経営会議の議題に乗っていないこと**だと思っています。

事業部の報告は並びます。開発はこうです、営業はこうです、と。人と組織については、退職と入社の報告、そして評価の日程がある。それで終わってしまう会社が、少なくありません。

目標・対話・評価が回っているかどうかが議題になっていない。**議題になっていないものは、誰の責任範囲にも入りません。**だから間に落ちます。

これは人事の方を責める話ではありません。むしろ人事の方こそ、経営からは「やれ」と言われ、現場からは「うるさい」と思われて、板挟みになっていることが多い。マネージャーも同じです。上からは求められ、下からは煙たがられる。

**押し付け合っているのではなく、押し付けられているだけ**なのだと思います。

だから、経営の問題として置き直した

そこで僕は、課題の設定そのものを変えました。

コレドウ・パフォーマンスマネジメント全書のサブタイトルは「マネジメントが回らないのは、マネージャーの問題ではない。経営の設計の問題だ」です。誰が悪いかではなく、**誰が決めるか**の話に置き直しています。

決めるべきものは、そんなに多くありません。

  • 1on1は何のために、どの間隔で、何を話すのか
  • 高い目標を掲げた人に、何で報いるのか
  • どんな文化を浸透させたいのか。どうやって浸透させるのか

この3つに共通しているのは、**人事にもマネージャーにも、決める権限がない**ということです。

1on1の目的と頻度を決めるというのは、マネージャーの時間の使い方を決めるということです。報い方を決めるというのは、原資の配分を決めるということです。文化にいたっては、この会社で何を良しとするかの表明そのものです。

どれも、権限を持っている人にしか決められません。責任だけは渡されているのに、決める権限は渡されていない。だから決まらないまま残ります。そして決まっていない空白は、現場が各自の解釈で埋めます(「マネージャーの当たり外れ」の正体)。

名前をつけたのは、議題に乗せるため

正直に言うと、「パフォーマンスマネジメント」という言葉自体、日本ではほとんど知られていません。検索しても、評価をやめる手法の紹介ばかり出てきます。

それでもこの言葉を使い続けているのは、**議題に乗せるため**です。

名前がないものは、会議のアジェンダに書けません。「目標と評価をちゃんとやりましょう」では、人事の作業だと思われて終わる。**目標・対話・評価が回り続けている状態には名前がある**、と言えたほうが、経営の話として扱ってもらえます。

もっとも、本当に良い状態の組織では、こんな言葉は要らないのだと思います。事業の成果を出す営みと一体化していて、わざわざ切り出す必要がないからです。

だとすれば、この言葉が要らなくなることが、たぶんゴールです。

それは、誰の仕事か

まとめます。

目標・対話・評価の話が誰にも受け取られないのは、関係者が無責任だからではありません。**事業の成果と切り離されて、担当業務として扱われているから**です。切り離されているかぎり、それは誰かの管轄の話になり、自分の話にはなりません。

つなぎ直すには、経営会議の議題に乗せるところからです。今期、目標は回っていたか。期中に対話はあったか。評価は答え合わせになっていたか。それが数字の報告と並んで議題になったとき、初めて自分たちの話になります。

これをパフォーマンスマネジメントと呼んでいます。人事の手法ではなく、経営の本業のほうです。

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