ノーレイティングとは——「評価をやめた会社」は、文化と新陳代謝をどう作るのか
この記事の要点
- ノーレイティングとは、年次評価やレーティング(S/A/B等の評点付け)を廃止し、高頻度の対話とフィードバックに置き換える人事手法。2015年前後に米国企業で広まった
- ただし報酬と処遇がある限り序列は消えない。消せるのは「表示」だけで、評点は隠れて生き残る
- 検討する前に答えるべき問いが3つある。意味付けをどうするのか、文化をどう作るのか、新陳代謝をどう起こすのか
- ノーレイティングも年功序列も、根っこは同じ「能力を測れない」問題への回避策。解決は測るのをやめることではなく、期中の記録で測れるようにすること
ノーレイティングとは、年次の人事評価やレーティング——SABCといった評点付け——を廃止し、代わりに高頻度の対話とリアルタイムのフィードバックで人材マネジメントを行う手法です。2012年のAdobeを皮切りに、GE、Microsoft、Accentureなど米国の大企業が相次いで採用し、2015年前後に「年次評価の死」として世界的に話題になりました。日本でも一部の企業が導入を検討・実施しています。
ここまでが教科書的な定義です。そして先に白状しておくと、僕はこの手法のことが、いまだによく分かっていません。勉強していないからではなく、考えれば考えるほど「レイティングしない」が何を指しているのか分からなくなるからです。この記事では、定義と経緯を整理したうえで、僕がずっと引っかかっている問いを書きます。ノーレイティングを検討している方には、導入前にこの問いに答えてみてほしいんです。
なぜ生まれたか——推進派の言い分
ノーレイティングが生まれた背景には、年次評価への正当な批判があります。
- 年1回は遅すぎる。事業のスピードに対して、1年前の話を裁く儀式になっている
- 評点が対話を壊す。点数を告げられた瞬間、人は防衛モードに入り、フィードバックが学習ではなく判定への反論準備になる
- 評価者の癖が結果を左右する。評価研究では、評点のばらつきの過半が被評価者の実力ではなく評価者側の要因だという結果がある
- 強制分布が協働を壊す。GEのバイタリティカーブ、Microsoftのスタックランキングが象徴で、社員同士を順位で競わせた結果、社内政治とゲーミングが蔓延した
この診断は、全部正しいと思います。僕自身、年1回しか対話しない評価運用を「点の運用」と呼んで批判し続けてきました(パフォーマンスマネジメントとは)。問題は、ここから「だから評点をやめよう」に飛んだことです。
何が起きたか——評点は消えず、隠れただけだった
結果は、米国の調査データがはっきり示しています。CEB(現Gartner)が約1万人・18カ国を対象に行った調査では、評点を廃止した企業でマネージャーの対話の質が14%低下し、従業員のパフォーマンスは平均10%下がりました。ハイパフォーマーほど報酬決定の説明を受けられなくなり、不満を募らせた。
理由は単純で、報酬と処遇がある限り、序列は消せないからです。昇給の原資は有限で、誰かに多く配れば誰かは少なくなる。その配分を決めるために、マネージャーの頭の中には結局レーティングが存在し続けます。表の評点を消しても、隠れた評点が生き残る。そして隠れた基準は、明文化された基準と違って、本人と対話ができません。「私の評価は何ですか」に「うちは評価をしない会社です」と答える面談は、納得感の対極にあります。
もっと言えば、評点を残している会社ですら、絶対評価すら実際にはできていません。絶対評価を謳う会社が期末にやっているのは、「A部署のこの人と、B部署のあの人、どっちが上か」という議論です。基準に照らして一人ひとり独立に判定しているつもりでも、昇給原資を割り振るという考え方で運営する以上、最後は横並びの比較に戻る。パーセンタイルで機械的に区切っていないだけで、実質は相対評価です。絶対評価という穏当な理想ですらこの重力に勝てないのに、序列そのものを消せるはずがない——というのが僕の実感です。
実際、ノーレイティングに踏み切った企業の少なくない数が、その後静かに評点を復活させています。
僕がこの構造を身近に感じるのは、OKRを導入しようとする会社を見てきたからです。OKRは本来、挑戦的な目標と査定を切り離す設計なのに、導入した会社はほぼ例外なく、結局レイティングと紐づけたくなります。切り離したはずのものが、報酬の重力で引き戻される。評点というのは、廃止を宣言して消えるようなものではないんです。
評価をやめたら、これをどうするの?——3つの問い
それでも「うちも評価をやめたほうがいいですか」と聞かれることがあります。僕の返事は決まっていて、「やめたら、どうするんですか?」です。嫌味ではなく、本当に知りたくて聞いています。具体的には、この3つの代替案を持っているかどうかです。
問い1:意味付けとモチベートを、何で行うのか
評価は、頑張りに意味を与える装置のひとつです。もちろん唯一の装置ではありません。ミッションやビジョンへの共感が圧倒的に強くて、レイティング以外の方法で日々の仕事に意味付けができている会社なら、評点がなくても人は動くでしょう。でもそれは、MVVが本当に浸透している一握りの会社の話です。その土台なしに評点だけ外せば、頑張っても頑張らなくても何も変わらない環境ができあがる。ほぼ確実に、不満の温床になります。
問い2:文化を、どうやって作るのか
「どんな行動をする人が評価されるのか」を示すことは、組織の文化を作る行為そのものです。数字を達成していてもチームを壊す人に低い評価を付ける——それは本人へのメッセージであると同時に、見ている全員へのメッセージになる。評点を消すということは、この文化形成の装置を手放すということです。代わりにどうやって「うちの会社はこれを大事にする」を伝え続けるのか。対話で、と言うのは簡単ですが、評点という締切のない対話が続かないことは、CEBの調査が示した通りです。
問い3:新陳代謝を、どう起こすのか
組織に大事なのは新陳代謝です。活躍する人が報われて重要な役割に進み、そうでない人には率直なフィードバックが届いて、変わるか、あるいは別の場所を探す。この代謝の判断材料がレーティングです。外すなら、昇格は何で決めるのか。低パフォーマンスの人への率直な通知は、いつ、何を根拠に行うのか。ここが曖昧なまま評点を外すと、代謝が止まります。代謝が止まった組織は、外から見ると穏やかで、中では活躍している人から順に静かに抜けていきます。
この3つに答えがあるなら、ノーレイティングは選択肢になり得ます。答えがないなら、外してはいけない部品を外すことになる。
それでも惹かれる理由は分かる——メンバーシップ型と成果レイティングのミスマッチ
ここまで否定寄りに書いてきましたが、日本でノーレイティングに惹かれる気持ちには、正当な根っこがあるとも思っています。
ジョブ型なら、成果で評価するのは合理的です。このジョブに求められる成果は何か、が先に定義されているから、それを出したかどうかで判定できる。でもメンバーシップ型で異動が前提の働き方の場合、「この人の価値」を何で決めるのか。営業にいた人が、来期は人事にいるかもしれない。会社への寄与の仕方が可変なら、そこで出される価値も可変です。今期の成果でレイティングすることが、その人の価値の測定として正しいのか——この疑問は、まっとうです。(ジョブ型とメンバーシップ型の違いが目標に何をもたらすかは「目標が立てられない」のは書き方の問題じゃないに書きました。)
本来ここで測るべきは、どの部署でも通用するベースの能力——いわゆるコンピテンシーです。でも、コンピテンシー評価はとにかく難しい。運用しているうちに「コンピテンシーが高いなら成果が出ているはずだ」という逆算が始まって、結局成果で評価される。堂々巡りになります。
こう考えると、ノーレイティングも年功序列も、実は同じ問題への回避策だと分かります。能力を正確に把握するすべがない、という問題への。年功序列は「測れないから、勤続年数を能力の代理にする」という回答で、ノーレイティングは「測れないから、測るのをやめる」という回答。方向は逆でも、どちらも測定の放棄です。だから、メンバーシップ型の会社が「ノーレイティングだよね」あるいは「年功序列のほうがマシだよね」と考える気持ちは、僕はすごく理解できます。
でも、課題が「測れないこと」に起因しているなら、解決は「無くすこと」ではないはずです。測れるようにする努力の側にある。能力は一発のテストでは測れませんが、期中の行動の記録が溜まっていれば、その人がどんな場面で何を再現できたのか——行動の再現性——は事実として見えてきます。成果は部署が変われば持ち運べませんが、再現された行動は持ち運べる。メンバーシップ型でこそ、期中の記録が能力の証跡になるんです。
問題は評点の有無ではなく、点か線か
僕の結論はシンプルです。ノーレイティングは、ほとんどの会社にとって答えではありません。
年次評価への批判は正しい。でも悪いのは評点ではなく、年1回しか見ていないことです。期初に目標を握り、期中に対話を重ね、記録が溜まった状態で期末を迎えれば、評点は「サプライズの通告」ではなく「答え合わせ」になります。評点が憎まれるのは、期中が空白のまま評点だけが降ってくるからです。
つまり、直すべきは点の有無ではなく、点と点のあいだに線があるかどうか。評点を消す手術より、線を引く運用のほうが、ずっと現実的で、ずっと効きます。(この「点と線」の全体像はパフォーマンスマネジメントとはに書きました。評価が持つ3つの顔——インセンティブ・対話・文化形成——の話はなぜ評価制度は「作っても回らない」のかもどうぞ。)
よくある質問
Q. ノーレイティングとはどういう意味ですか?
A. 年次の人事評価やレーティング(S/A/B等の評点付け)を廃止し、高頻度の1on1やリアルタイムのフィードバックに置き換える人事手法です。2012年以降、Adobe・GE・Microsoftなど米国企業で広まりました。評価をしないという意味ではなく、評点という形式をやめるという意味です。ただし報酬決定のために実質的な序列付けは残ることがほとんどです。
Q. 日本企業はノーレイティングを導入すべきですか?
A. ほとんどの場合、おすすめしません。等級・賃金と評価が接続している日本の人事制度では、評点の廃止は人事制度全体の作り替えになります。それだけの工事をしても、意味付け・文化形成・新陳代謝の代替手段がなければ、不満の温床になるだけです。年次評価の課題は、評点を残したまま期中の対話を増やすことで解決できます。
Q. ノーレイティングが機能する会社はありますか?
A. 条件つきであり得ます。ミッション・ビジョンへの共感が非常に強く、意味付けとモチベートを評点以外で行えていて、昇格や代謝の判断基準を別に持っている会社です。逆に言うと、その条件を満たす会社は、評点があっても問題が起きていないことが多いはずです。
まとめ
- ノーレイティングとは評点付けの廃止。年次評価への正当な批判から生まれたが、米国の実証データでは対話の質もパフォーマンスも低下した
- 報酬がある限り序列は消えない。絶対評価を謳う会社ですら期末は横並びの比較をしており、実質は相対評価。消えるのは表示だけで、隠れた評点は対話できないぶん、たちが悪い
- 検討するなら3つの問いに先に答えること。意味付けを何で行うか、文化をどう作るか、新陳代謝をどう起こすか
- ほとんどの会社にとって、直すべきは評点の有無ではなく、期中に線があるかどうか
評価をやめたくなるほど評価がつらいなら、それは評点のせいではなく、期中の空白のせいです。外す前に、埋めてみてください。